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還暦 [自分史]


 4月29日(金)、今年のGWの初日を迎えた。

 会社は5月2日(月)を全社一斉休業と決めているので、私の場合は5月5日(木)までの7連休となる。これまでGWは大体カレンダー通りの生活だったので、この時期にこれだけ長い休みになるのは、海外赴任時に1回だけホームリーブを取った時を除けば、私の会社人生でも初めてのことだ。といって、どこへ行っても混む時に遠出をするつもりはない。いつもより長く、静かで緑あふれる東京都心の休日をゆっくり楽しめたらと思う。

 前日の午後に気圧の谷が通過して雨が上がり、夜間は曇り。それが、29日の朝に目が覚める頃には晴天に変わり、窓の外では眩しい光が木々を照らしていた。鮮やかな空の青。そして風が強い。西から張り出してきた移動性高気圧から北西の風が吹き付けているのだ。空は轟々と音を立て、若葉を茂らせた背の高いケヤキの木が大きく揺れている。
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 家族と軽い朝食を済ませた後、私は外の青空に誘われるように近くの公園へと散歩に出かけた。この時期は鮮やかな緑に囲まれている、ただそのことが本当に嬉しい。私はこの季節に生まれたせいか、GWの頃の気候が一年の中では一番好きだ。
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 今からちょうど60年前の今日、私はこの世に生を受けた。つまり、自分にとって今日は還暦の日である。そのことについて特段の感慨もまだ湧いては来ないが、60年という歳月は決して短いものではない。

 今はインターネットで過去100年の任意の日の天気図をダウンロードすることが出来る。今から60年前、すなわち1956(昭和31)年4月29日の天気図を検索してみると、以下の通りだ。因みに、気象庁という組織はこの年の7月1日に発足しているから、4月29日の天気図はまだ中央気象台の手によるものだったことになる。
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 この年の4月29日も東京は晴れのパターンだった。午前9時の時点で日本列島は揚子江中流域に中心部を持つ移動性高気圧に緩やかに覆われている。そしてこの高気圧の移動は実にゆっくりで、午後9時には本州中央部に新たな高圧部が出来ている。これはかなり天気の良いパターンだ。東京・神田駿河台の産院で私が生まれたのは午後3時だそうだから、気圧配置はこの二つの天気図の中間ということになる。その日はよく晴れた一日だったと、確かに母も言っていたものだった。

 それから60年。私はクルマに家内と娘を乗せて、昼過ぎに自宅を出発。母が一人暮らしをしている都内の実家へと向かう。そして、家内が選んでくれた小さなケーキを四人で分けて、誕生日祝いをしてもらった。人生60年、どれほどの年輪を重ねることが出来たのか、甚だ心もとなくはあるのだが。
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 その日の夜の11時頃に、息子からLINEのメッセージが届いた。

 「遅くなったけど誕生日おめでとう!(バンコックの空港にて)」

 タイとは2時間時差だから、現地では午後9時頃ということになる。息子は出張をしていて、これから夜行便で東京に帰って来る予定なのだ。搭乗の手続きを済ませて、メッセージを送ってくれたのだろう。遠く離れていても、今はコミュニケーションがいとも簡単に取れる時代になった。私が以前の仕事で海外出張ばかりしていた頃とは雲泥の差と言う他はない。

 翌30日の朝、私は早起きをして山へ出かけることにした。昨日一日吹き続けた強い北西風は既に止み、代わって穏やかな南風が吹いている。気温が結構上がることになるのではないか。

 京王線の高尾山口から歩き始め、稲荷山コースを登り、敢えて高尾山頂は通らずにその西側にある富士見台園地へ。新緑の彼方に望み通りの富士山を眺めることが出来た。
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 とっくに終わったものと思っていたヤマザクラも最後の一枝だけ花を残していて、山の緑や純白の富士山とのコントラストがなかなかいい。
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 高尾山の西側は日当りが悪いために山道のぬかるみが多かったのだが、木道を造ったり砂礫の道へと整備することで見違えるほど歩きやすくなった。奥高尾の尾根を快調に登り、八丁平で再び富士山を眺める。還暦を迎えた後の最初の山歩き。山の緑と遥かな富士山を眺められるとは何とも幸せなことだ。
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 小仏城山から小仏峠を経て景信山(かげのぶやま)へ。何度も歩いたことのあるコースだが、やはりこの季節の鮮やかな新緑は素晴らしい。まさに「観るビタミン」で、眺めているだけで元気をもらえそうだ。
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 景信山から小仏バス停へと降りた後、次のバスまで40分も時間が出来てしまった。それをただ待っているのも退屈なので、高尾駅までの5kmの道路も歩くことにした。この日の歩行距離は計15kmほどになったが、自分でもかなりいいペースで歩くことが出来た。歳をとっても、足腰はしっかりとしていたいものだ。これからもそのことは心がけていこう。

 高尾から電車を乗り継いて、午後3時前には帰宅。バンコックから帰って来た息子は既に家にいた。熱いシャワーを浴びた後、缶ビールは夕方まで我慢。そして5時に一家四人が近所の焼肉屋に現地集合。家族の誰かが誕生日を迎えた時の恒例として、この日も四人で賑やかに焼肉を楽しむことになった。

 ここまでの60年間の人生。独身だった時期と家庭を持ってからの時期が、私の場合はちょうど半々であり、社会人としての期間は35年とちょっとということになる。これから先の人生がどれほどのものになるのかは知る由もないが、生きている限りは引き続き家族の絆を大切に、自分の身の回りのことは自分で責任を持って、世間に迷惑をかけず、少しでも世の中のお役に立てるように自らを律していきたいものだ。

 いつもと変わらぬ家族の笑顔に囲まれながら、改めてそう思った。

低山の春 - 生藤山・陣馬山 [山歩き]


 気がつけば4月も下旬に入った。朝早く立川から乗った中央本線の下り電車が高尾を過ぎると、線路の両側に迫り始めた山々の新緑が目にしみる。曇り空に時折薄日が差すような天気だが、山肌を覆う淡い緑の輝きがその分だけ柔らかくなって、いかにもこの季節に相応しい。

 山仲間たちと週末の山歩きに出かけるのも、ずいぶんと久しぶりだ。2月の上旬に奥多摩の浅間尾根でスノーハイクを楽しんで以来のことになる。今日が4月23日(土)だから実に2ヶ月半ぶりの山行。あの時の山の雪がすっかり消えて今は山肌で新緑が競い合っているのも道理である。

 私を含めた3人が先にJR上野原駅に着き、ウナギの寝床のような駅前ロータリーで待っていると、やがてH氏が到着。タクシーで生藤山登山口の石楯尾(いわたてお)神社に着いたのはちょうど08:30だった。ここから三国山(960m)、生藤山(990m)、陣馬山857m)を経て陣馬の湯まで、結構長いコースがこれから始まる。
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08:35 石楯尾神社 → 09:10 佐野川峠 → 09:45 三国山

 ここから陣馬山までのコースは私一人で何度か歩いたことがあり、様子はわかっている。歩き始めは畑の中の舗装道だ。この季節は民家の庭先や畑の中、そして里山の中腹に色とりどりの花が咲き、それを眺めながら歩くのが楽しみだ。
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 舗装道を左にそれて山道が始まる。植林の中をつづら折れに黙々と登っていく地味な道だが、ところどころに咲くヤマブキの花がいいアクセントになっている。山にはガスがかかり、湿度が高い。今日は相応に暑くなると聞いて、私は半袖のラガーシャツに薄いウィンド・ブレーカーという服装でやって来たのだが、この登りで早くもウィンド・ブレーカーを脱いでしまった。
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 先頭を行くH氏がいいペースで歩いてくれて、石楯尾神社からちょうど40分で佐野川峠に到着。そこから先は尾根道になり、傾斜はだいぶ緩やかなものになる。それを登っていくと、足元に桜の花びらが散らばりはじめた。ここから先には桜並木があるのだが、どうやら来るのが少し遅かったようだ。ベンチが用意された所の桜並木は殆どが葉桜だった。

 この桜並木を過ぎると三国山までは近く、佐野川峠を出てから30分ほどで三国山頂上に着いてしまった。昭文社の山地図だとこの区間は登り1時間となっているのだが、いくらなんでもそんな距離ではない。いずれにしても、山地図のコースタイムに準じて作った行動計画に対して「貯金」が出来た。晴れていれば富士山も見える三国山からの展望は霧の中だったが、かろうじて残っていたヤマザクラの花を眺めながら、私たちは一息入れることにした。
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09:55 三国山 → 生藤山・茅丸・連行峰(いずれも巻き道) → 10:42 大蔵里山 → 11:35 和田峠

 先を急ぐ。三国山からは所々に僅かな登りがあるものの、基本的には和田峠に向けて高度を下げていくコースだ。途中に生藤山(990m)、茅丸(1019m)、連行峰などのピークがあって、愚直に歩けばそれぞれのピークに上がる山道はあるのだが、そもそもが樹林の中のピークで展望が限られる上に、今日はこのガスの中だ。いずれも巻き道で勘弁してもらい、その分だけ山道の新緑や花を楽しませてもらうことにした。
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 三国山から先で目をひくのはミツバツツジだ。街中で見かけるツツジに比べれば花の色はずっと淡いのだが、新緑が始まりだしたばかりで冬枯れの色合いもまだ少し残る今頃の山では、この花の明るさは実に印象的である。
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 気がつけば、朝から続いていた霧がだいぶ晴れて、陣馬山へと続く山並みが木々の向こうに見え始めた。北の方角では青空も少しのぞき、鮮やかな新緑が一段とその輝きを増していく。そんな様子を眺めながら歩くのは実に楽しいものだ。
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 途中、大蔵里山(「おおぞうりやま」と読むらしい)という手書きのプレートのあるピークが樹林の中にあり、そこで一休み。冷凍して持ってきたミネオラ・オレンジを皆で分ける。汗をぬぐい、冷たいフルーツで喉を潤わせながら、印象派の点画のような春の山を眺める。今年もそんな季節がやって来た。
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 大蔵里山を過ぎて、山道は和田峠を目指して下り続ける。簡単に言ってしまえばとりとめもない道で、トレイル・ランナーになったつもりで一気に駆け下りたい気分にもなる区間だ。(実際に、反対方向からやって来たランナー達と何度もすれ違った。)

 最後はそれなりの高度差をつづら折れに下りて、11:30に和田峠に到着。八王子方向から上がってきてこの峠を越えJR藤野駅の方向へと下りていく舗装道を横切る場所である。

 和田峠というのは八王子側からの呼び方で、藤野側からは案下峠と呼ばれたそうだ。八王子の旧名である案下の二文字が示すように、小仏峠を越えるルートになる前の甲州街道はここを経由していたという。かつて武田と北条が覇を争った頃には北条方がこの峠を守っていたそうで、この先の「陣馬」という地名には両軍の戦いを連想させるものがあるが、このあたりが実際に戦場になった訳ではないらしい。(但し、八王子にある滝山城などでは激しい攻防戦が繰り広げられている。)

 現代の私達はレジャーとして山を訪れ、そのために整備された山道を歩いて展望を楽しんでいる。それに比べれば、軍事行動にせよ生活のための往来であったにせよ、中世・近世の人々が小仏峠や和田峠を歩いて越えるというのは難儀なことであったのだろう。和田峠のベンチで一息いれながら、その時代の峠道がどんな様子であったのか、私はしばし想像を巡らせていた。
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(和田峠に咲き残るヤマザクラ)

11:45 和田峠 → 12:10 陣馬山

 正午に近くなり、だいぶ腹も減ってきた。陣馬山の山頂まであと一頑張りだ。ここからは、階段続きだが歩行時間の短い「直登コース」と、それよりは時間がかかるが階段はない「平坦コース」の二つがある。後者を歩いたことがない私の選択に従ってもらい、今回は平坦コースを歩いてみることにした。

 陣馬山の北斜面を回り込むルートなので、植林の中で日当たりがなくぬかるんだ山道が続く。だが、その植林を抜けると目にも鮮やかな新緑が一気に広がる谷を上がるようになる。
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「平坦コース」の名のわりにはしっかりとした登りが始まるのだが、その分だけ頂上にも近づいていく。みるみる展望がひらけ、多くの登山者が集まる陣馬山の山頂にようやく着いた。

 このあたりでもヤマザクラは終わりかけていたが、朝の霧がだいぶ晴れて、奥多摩の方向に山の春景色がどこまでも続いている。そして、雲間から太陽が顔を出すと、その光は結構強烈だ。テーブルを確保して4人で昼食を楽しみながら、私は顔や両腕に早くも軽い日焼けを感じていた。
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(陣馬山頂から生藤山方面の眺め)

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(奥多摩方面へと続く山の春)

12:50 陣馬山 → 13:55 陣馬の湯(陣谷温泉)/ 14:40 → 15:30 JR藤野駅

 栃谷尾根を下る。その道標は陣馬山頂にはないのだが、景信山方面への山道を下っていくと、直ぐに右に分かれる山道が現れるので、それを下ればいい。陣馬山頂から景信山方面へは多くの登山者が歩いていくのだが、この栃谷尾根を下る人々は少ない。歩いてみると実によく整備された山道で歩きやすく、ここを下れば温泉があるのにこんなにひっそりとしているのは、何とも不思議だ。

 階段状の急な下りもなく、岩がゴロゴロしている訳でもなく、山の尾根に沿って快適に下っていく。山地図のコースタイムでは陣馬山頂から陣谷温泉まで50分。そんなに直ぐ着いてしまうのかと半信半疑だったが、確かに私たちは順調に下り、植林の中のつづら折れをやり過ごすと、下に茶畑が見えて来た。

 その茶畑の前にやって来ると、あたりには「日本昔ばなし」に出て来るかのような、のどかな山里の風景が広がっていた。この眺めが「相模原市緑区」の中だというのもちょっと不思議だが、何とも言えない懐かしさにあふれている。
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 このあたりから舗装道になり、民家の間を過ぎていく。私たちは快調に下りて来たつもりだったが、陣馬山頂から50分というのはどうやらこのあたりまでのことのようだ。陣谷温泉のある道路までは真っすぐ行かず、何度もカーブを切りながら遠回りして高度を下げていく。結局、陣谷温泉に着いたのは畑が現れてから20分ほど歩き続けてのことだった。

 何度訪れても、陣谷温泉の檜風呂はいいものだ。窓からは沢の向こうに一本だけヤマザクラの花が残っていて、風呂に浸かりながら桜を愛でるという本日の目標を何とか達成。里山の春は、やはり素晴らしい。

 計画よりもだいぶ早く降りて来たので、ここから15分ほど歩いた陣馬登山口バス停から出る藤野行きの次のバスにはまだ一時間以上もある。それを待つ意味はないから、私たちは藤野駅までの2kmを更に歩くことにした。途中の酒屋で缶ビールを買い、沿道の春の花々を愛でながらの一歩き。それもまた悪くない。道端ではタケノコやら山ウドやらを売っている。

 歩程は全部で15kmほどになったはずだが、淡い色彩に包まれながら低山の春を存分に楽しめた一日だった。


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