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春の巡礼 - 上高地・小梨平 (4) [山歩き]


寒い夜

 寝袋の中で最初に目が覚めたのは、夜の11時を回ったところだった。就寝から3時間ほど眠ったことになる。その後はほぼ30分おきに寒さで目が覚めては、寝ている態勢を立て直すことの繰り返し。雪の上に冬用テントを張って寝るというのは、学生時代を思い出してみればそんな感じだったかな。テントの中は明らかに氷点下で、頭も寝袋の中にしっかり入れていないと顔が冷たいし、足の先も冷たい。寝返りを打った時にテントに触れると、とたんにその冷たさが寝袋を通して自分の体に伝わってくる。早く朝にならないか、そればかりを考えていた。

 午前5時半に近い頃、先輩たちが眠る四人天からガサゴソと音が聞こえ始めた。私と同じテントに寝ていたT君も起き出して、点灯。コンロにも火をつけてひとまず暖を取る。テント内に置いていた水のペットボトルや山靴などが凍っていた。そういえば、学生時代の積雪期の合宿では、山靴は寝袋の中に入れて寝たものだった。今回はたかだか標高1,500mの上高地だからと、あまり深く考えていなかったが、思っていた以上に夜は冷え込んだようだ。それでも、夜中にも風がなかったのは幸いだ。

 テントの外に顔を出したT君は、空に星が出ているという。この冷え込みの強さからすれば、夜中はずっと晴れていたのかもしれない。それならば、穂高の稜線も今日はすっきりと見えるかな。

素晴らしい朝

 テントの中で靴を温めたりしているうちに、外も次第に明るくなってきた。テントを出て、昨日の夕方に山を眺めた場所に行ってみると、穂高には雲一つなく、岳沢の全容が目の前に広がっていた。太陽に直接照らされる前の、モノトーンに近い世界だ。
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 写真にはプロ級の腕前を持つSさんが、大きな三脚を立ててその岳沢にレンズを向けている。聞いてみれば朝の4時半からその場所に立っていたそうだ。今日の山の夜明けはそれほどの努力に値する被写体なのだろう。雲が晴れて神が現れたような昨日の夕方の穂高は息を呑む美しさだったが、今朝の穂高連峰は真水のようにすっきりとしていて、これはまた別の美しさを見せている。
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 朝日を受けて山肌が赤く染まる、いわゆるモルゲン・ロートを私たちは期待して待っていたのだが、よく晴れているのに、どうもそれは起こりそうにない。東の彼方に雲があって直射日光が当たらないのかもしれない。それは諦めるとしても、この季節にこれほどの快晴に恵まれたとは、何という幸運なのだろう。

 ひとしきり岳沢の眺めを楽しんだ後、私たちはテントに戻り、朝食の準備を始める。凍ったパンをコンロでトーストし、マヨネーズを塗ってハムやチーズを乗せ、凍ってシャキシャキ感たっぷりのレタスを更に乗せる。ソーセージを炒め、コンソメ・スープで温まり・・・。結構豪華な朝食で私たちはみんな笑顔だ。今日はこれから山に登る訳ではないから、時間に追われることもない。テントの中でこんなにのんびりとした朝食を楽しめるとは、何とも贅沢なことである。

 時計は朝の8時を回っていた。再び外に出ると、快晴の空は一段と青みを増して、岳沢の稜線はその尾根と谷の一つ一つをくっきりと見せていた。山はご機嫌そのものだ。
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 これほど鮮やかな積雪期の穂高を実際に目の前で眺めることは、私の残りの人生の中で再びあるだろうか。奥穂南稜の頭に舞う雪煙を眺めながら、私たちはもうテンションが上がりっ放しだ。
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岳沢道へ

 リーダーのE先輩が立案された計画では、午前11時を目途にテントの撤収を開始。それまでは岳沢道を少し入ってみたりしながらこの周辺で遊ぶことになっていた。それぞれにワカンを履いたり、スノーシューを履いてみたりして小梨平を出発。9時前に河童橋に出ると、スノー・ハイクを楽しむ人々が行き交い始めていた。
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 橋を渡り、夏は治山運搬路になっている道を岳沢の懐に向かって進む。夏は緑陰の中の道で、入山ボッカの日は下をうつむいて歩くことが多いから気がつかなかったのだが、木々の葉が落ちた今は、この道の正面に穂高の吊尾根が見えていて何とも気分がいい。
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 9時15分、岳沢道の入口に到着。治山運搬路はその先も雪の上にトレイルがあって、明神池の方からクロカン・スキーの一隊がやって来るのだが、ここから分岐して岳沢の中へと入って行く岳沢道に人間が残したトレイルは何もなかった。あるのは雪の上に点々と続く小動物の足跡だけ。岳沢道は文字通りのケモノ道になっていた。
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 高校山岳部の夏合宿のベース・キャンプだった、私たちの聖地・岳沢。こんなに素晴らしい天候の下、出来るものならばこの岳沢道をどこまでも登って山に近づきたいが、今の季節にそれは叶わない。それでも、樹林の中を9番プレートの少し先あたりまで行ってみようかということになった。
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 雪の山では木の幹などに残された赤布がルートの目印になる。雪深い岳沢道に入り込んで、最初の赤布はすぐにあったのだが、それ以降は全く見つからない。深い雪に埋もれてしまったのだろうか。針葉樹林の中だから、雪が積もればどこも同じような景色だ。方角に見当をつけて登ってみたものの、GPSで現在地を確認すると、夏道を少し左に反れているらしい。といって、右を見ても正しいルートの目標になりそうなものは何もない。30分ほど格闘してみたが、結局9番プレートを見つけることも出来ず、私たちはそこで引き返すことにした。それでも、雪を踏んで岳沢の懐の中へ少しでも入り込めたことに、私たちは満足していた。聖地巡礼の目的は十分に果たせたと思っている。
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(巡礼者たち)

 河童橋の近くまで戻ってきてもう一度穂高の稜線を眺めると、天狗沢の上部に雪煙が上がるのが見えた。晴天で気温が上がり、雪崩が起きたのだろう。
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 あの天狗沢を間近に見上げる場所に、かつての高校山岳部は夏のベース・キャンプを張っていた。私たちにとっての聖地の中心点はそこなのだ。初めて訪れてから今年の夏で42年。そんなに遠い昔のことになったということが、自分でもまだ実感出来ずにいる。今日も一緒に来ている同期生のT君も、きっとそうなのではないだろうか。

下山

 小梨平のテントに戻り、撤収を開始。荷造りが終わって12時過ぎに再び河童橋に出ると、今朝早く坂巻温泉を出た山岳部の先輩方と出会った。彼らは今日は日帰りの上高地往復なのだが、絶好のお天気の下、ここまでの雪の道を大いに楽しまれたことだろう。

 先を急ぐ私たちは、昨日のバス道を下る。ひっそりとした上高地バスターミナルで、頭の上高くに聳える穂高の眺めをもう一度目に焼き付けておこう。
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 下りもいいペースで、一時間も歩けば大正池のビューポイントに出る。湖面が凍っていなければ「逆さ穂高」が見られたに違いないが、それにしても素晴らしい眺めだ。ここを去ってしまうことが、本当に惜しい。
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 14時過ぎに釜トンネルの上高地側出口に到着。少し遅れて下山してきたT君の到着を待って、釜トンネルに入る。今度は下り勾配だから、我々の歩みも速い。

 黙々と歩くうちに、トンネルの出口の光が見えてきた。考えてみれば、今回の私たちにとって、釜トンネルは俗界と巡礼の道とをつなぐトンネルでもあったのかもしれない。世代を超えて6人の高校山岳部出身者が集まり、聖地を訪ねて二日間のタイム・トラベルをした。昔のように雪を踏み、昔のようにテントの中で夜の寒さに耐え、そして昔と全く同じように穂高の稜線を見上げて心を躍らせた。そんな二日間を過ごせたことは、私たちにとって一生の宝物になることだろう。
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 今回の計画を立ち上げて下さったE先輩、そして同行いただいた諸先輩と同期のT君に、心からの感謝を捧げたい。

春の巡礼 - 上高地・小梨平 (3) [山歩き]


テントを設営

 目の前に広がる穂高・岳沢の冬景色に見とれながら、私たちは河童橋の周辺でついつい30分ほども過ごしてしまった。特に河童橋を渡って梓川の右岸に出た所は、岳沢が真正面に見えるスポットだ。そこにいるといつまでも岳沢を眺め続けてしまう。

 今日は風のない本当に穏やかな天候だが、気温は0度前後だから、じっとしているとやはり寒くなってくる。道草はこれぐらいにして、そろそろテントを張ることにしよう。私たちは小梨平へと移動し、適当な場所を探した。あたりは一面の雪原で、トレールを外れると足の付け根まですっぽりと雪の中に入ってしまう。
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 他に幕営者は殆どいないからテントを張る場所には困らない。夜中に風が出た時に吹き曝しにならないよう森の中で、なおかつ岳沢を正面から眺められる場所を、リーダーのE先輩が決めてくれた。
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 まずは皆が横一列になって雪を踏み固め、大きな長方形の天場を作る。今日のメンバー6人が寝るのは、先輩方が担いで下さった四人天と二~三人天。その他にT君のテントを荷物天にすることにした。高校山岳部の時代はもう40年以上も前のことだから、冬用のテントといっても当時と今とでは大違いだ。昔の物はとにかく大きくて生地が厚く、ポールも重かった。テントの中に敷く断熱用のエアマットもゴム製だったから、これがまた重い。それらをみな持って行かねばならないのだから、冬山の入山日には、山のようなキスリング・ザックを担いだものだった。それが今はみな小型・軽量になって、テントもあっという間に張れる。
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 設営作業は順調に進み、15時半過ぎには四人天に6人のメンバーが集まり、ガスコンロに点火して一息入れることにした。冬天の中の火の暖かさ。これもまた懐かしいものだ。

 湯を沸かして夕食の準備を始めつつ、各自持ち寄った食材をツマミにして、なし崩し的に飲み会が始まる。皆にとって、これが今日の最大の楽しみだったのだ。外気温はそろそろ氷点下になっているから、持ってきた缶ビールもキンキンに冷えている。それにしても、男が6人集まればそうなることは最初からわかっていたのだが、持ち寄った酒とツマミが何と豊富なことだろう。それを上高地・小梨平の静かな雪原で楽しんでいるのだから、これ以上の贅沢はないのかもしれない。

神の降臨

 テントの中で飲み会が始まってから、だいぶ時間が経った。皆がすっかり上機嫌になっていた時、一番端に座っていたSさんが何気なくテントの外を覗いた。そして次の瞬間に大きな声で叫んだ。

「うわっ!稜線が見えてるぞ!!」

 その短い言葉が何を意味しているかは明らかだ。皆はバネで弾かれたようにテントの外へと飛び出す。20メートルほど河原に近づいて北の空を見上げると、岳沢の上部を覆っていたガスが次第に晴れて、西穂高岳から奥穂高岳を経て明神岳までの岩稜が少しずつ姿を現し始めているところだった。時刻は17時20分頃だ。
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 穂高の稜線は左側が先に晴れて、西穂独標、ピラミッド・ピーク、西穂高岳、間ノ岳、天狗岩の頭、そして奥穂高岳の畳岩あたりまでの岩稜がはっきりと見えている。
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(西穂高岳付近)

 次第に雲が晴れつつある奥穂高岳の周辺をクローズアップしてみると、深い雪を抱いて堂々と聳えるその姿は、ヨーロッパ・アルプスにも似た風格を持っている。
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 そして遂に、奥穂高岳と前穂高岳を結ぶ吊尾根が、夕空を背景にその姿を現した。
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 「神々しい」という言葉は、このような光景を表現するためにあるのだろうか。高校山岳部時代に夏合宿で毎年訪れた、私たちの聖地・岳沢。雪を踏んで上高地までやって来た私たちの目の前に、畏れ多くも神が降臨した。私にはそうとしか思えなかった。
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 上高地は、やはり神河内、或いは神降地と書くのが相応しい。
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 ゆっくりと暮れていく小梨平。時刻は17時50分。3月中旬に入り、だいぶ陽も長くなった。
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 テントに戻った私たちは、それから賑やかに夕食を楽しみ、19時半には就寝の態勢に入った。寝る前にもう一度岳沢の様子を見に行くと、吊尾根の上に北極星が輝いている。そして明神岳の真上には北斗七星が昇り、西穂高岳の上にはカシオペア座が沈もうとしていた。それを写真に残す技が私にはないのが残念だ。

 先輩方が四人天、そしてT君と私が二・三人天で寝袋を広げる。防寒具を着込んですっぽりと寝袋の中へ。既に気温はかなり低く、鼻の頭が冷たいので私はネック・ウォーマーで鼻から下を覆った。冬天に寝るのは大学卒業以来35年ぶりだが、果たして今夜はどれぐらい眠れるだろうか。そう思っていたら、隣の四人天からは早くも軽い鼾が聞こえてきた。
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(To be continued)

春の巡礼 - 上高地・小梨平 (2) [山歩き]


大正池から田代池へ

 春まだ覚めやらぬ上高地への巡礼。釜トンネルの入口から歩き始めて大正池までやって来た私たち6人は、河童橋からの穂高・岳沢の眺めに接したいと逸る気持ちを抑えられないのか、ろくに小休止も取らずに歩き続けている。

 12時43分、上高地ホテルの前を通過。建物は深い雪の中にあって、夏のあの賑わいが嘘のようだ。
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 このあたりから、メンバーの一人のS先輩が撮影のための単独行動になった。Sさんの写真への没頭のされ方は、もはや趣味のレベルを遥かに超えていて、多くの撮影用機材のために今回もその荷物はずっしりと重い。大正池から田代池の周辺は撮影スポットが多いそうだから、夏のバス道を歩くだけではもったいないのだろう。後で上高地で会おうということになった。

 雪道を更に進むと、田代池へと続く夏の遊歩道が左手に見えてくる。沢を渡る木の橋を見れば、積もった雪の深さがあらためてわかる。その雪の上にはクロカン・スキーの跡が残っていたが、ここをスキーで通るのは案外スリリングかもしれない。私たちが歩いている所だって、夏はバスが行き交う舗装道路だが、今は深い雪の中で全くの別世界である。
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 それにしても、あたりは静かだ。クルマの通らない季節にこうして自分の足で歩いてみると、日本有数の観光地にも実にしみじみとした味わいがある。歩みを重ねるごとに、ゆったりとしたペースで展開していく周囲の景色。山歩きとは単にピークを極めることだけではなくて、山の中にいることによって進んで行く一つ一つのプロセスが楽しいのだということを、この雪道は教えてくれているようだ。
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 今朝、坂巻温泉までのクルマの中でネット上のピンポイント天気予報を見ていたら、今日の上高地は午後になるほど天気が良くなるとのことだった。確かに、歩いている間に青空がそれなりにのぞくようになってきた。上高地に着いたら穂高の稜線は見えるだろうか。高校山岳部の夏合宿の舞台だった穂高の岳沢。私たちにとっての聖地に一歩ずつ近づくにつれて、気分が高揚してくる。
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霞沢岳

 13時を少し回ったところで小休止。地図上ではちょうど左手に田代池があるあたりだ。そして更に歩みを進めると、右側の展望が開ける箇所があった。その方向に目を向けると、天に向かって駆け上がるような急傾斜の雪渓の上に険しい岩稜が続いている。霞沢岳(2,646m)の八右衛門沢だ。何と荒々しい沢なのだろう。
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 日本の近代登山の黎明期に活躍したウォルター・ウェストンは、大正2年の夏にこの八右衛門沢から霞沢岳に登ったという。当時は上高地までの道路などもちろんなかった時代だから、ウェストンは島々谷から徳本峠を越えて梓川河畔の明神に降り、上高地を回って八右衛門沢を登ったことになる。今なら徳本峠から西へ、ジャンクション・ピークを越えて尾根伝いに霞沢岳を目指す山道があるのだが、当時は八右衛門沢を詰めるしかなかったのだ。(ついでながら、焼岳の噴火で大正池が出来たのは大正4年の6月だから、ウェストンが霞沢岳に登った時には、大正池はまだなかったことになる。)
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 上高地のトレードマークともいえる、梓川に架かる河童橋と穂高・岳沢の眺め。岳沢は真南を向いた沢だから、太陽をいっぱいに浴びていつも明るい印象だ。ところが、それとは対照的に、上高地の南側にある霞沢岳は、河童橋から眺めれば光の当たらない北斜面だけが見えている。そして、穂高に比べれば登山者もずっと少ない。何だか地味な脇役に押し込められているよう気の毒な印象のある山なのだが、上高地に霞沢岳がなかったら実につまらないことになるのだろうと、私は思っている。

 霞沢岳がそこに大きく構えているからこそ、上高地へのアプローチは山深くなる。この山があるからこそ、穂高の稜線から上高地を見下ろした時に、梓川の谷の深さがよくわかるのだ。霞沢岳と穂高連峰が陰と陽の関係にあるからこそ、上高地は絵になるのだろう。
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 八右衛門沢を眺めているうちに時刻は13時半を少し回り、私たちは帝国ホテルの前に出た。田代橋への道と分岐する場所なのだが、上高地からこの帝国ホテル前を通って田代橋方面への道路が除雪されていて、雪の上に車両の轍が残っている。冬の間、梓川の浚渫工事などの車両は、上高地から田代橋を渡って大正池の右岸を回る道路を通っているようだ。

 帝国ホテルまで来れば上高地は近い。私たちの歩くペースも更に上がり、10分後の13時45分に上高地バスターミナルに到着。夏ならば、ここでバスを降りたとたんに木の香りと山の冷気に包まれ、森の向こうに見えている穂高の稜線の、その位置の高さに感動を覚える場所だ。合宿に来た時はいつもそうだった。
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 その夏の賑わいからは想像も出来ないほど、真っ白な静寂の中にあるバスターミナル。私たちの聖地・岳沢が目の前に広がるまで、もうあと少しだ。

河童橋に着いた

 13時54分、ついに河童橋に到着。夏のハイシーズンは、それこそ橋が崩落してしまうのではないかと思うほどの観光客が集まるこのスポットも、今は実に静かなものだ。人気の五千尺旅館も、今は閉ざされたままひっそりとしている。
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 聖地・岳沢は、いつものように梓川の後ろにどっしりと構えていた。穂高の稜線は今はまだガスに覆われているが、頭上には青空も広がっていて、天候が良くなりそうなパターンだ。スマホで確認した今日の予報天気図の通り、西からゆっくりとやって来る移動性高気圧に覆われつつあるのだろうか。だとすれば、ここに滞在する明日のお昼までの間に、穂高の稜線はきっとその姿を見せてくれることだろう。
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 ここまで来れば、後は小梨平で適当な場所を見つけてテントを設営するだけだ。私たちはしばし時間を忘れて聖地の眺めを楽しむことにした。梓川の河畔は冬景色のままだが、3月中旬の明るい光を浴びて冬の眠りが浅くなり始めているようにも見えた。
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(六百山の岩稜)

 雪を踏みながらここまでやって来て、やはりよかった。
(To be continued)

春の巡礼 - 上高地・小梨平 (1) [山歩き]


 土曜日の朝8時少し前、山仲間のT君が運転するクルマは、中央自動車道の勝沼ICを過ぎて甲府盆地へと入った。正面に櫛形山と鳳凰三山が春霞の中にその姿を見せている。晴れれば遠くの山々がくっきりと見えていた冬とは違って、今朝の南アルプスは淡く明るい光の中にあり、その輪郭もどこか穏やかだ。今年ももう、そんな季節になった。
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 そのまま走り続けて須玉ICで中央道を降りると、そこで待っていたS先輩のクルマと合流。私たちは須玉町内にお住まいのI先輩のご自宅へと向かう。中央道の出口からは本当にすぐだ。奥様も出ていらして、コーヒーや自家製の甘酒をご馳走になる。ご自宅の前から眺める南アルプスは、甲斐駒のピークに少し雲がかかっていたが、地蔵岳のオベリスクがよく見えていた。

 今日のメンバー6人が揃ったので、スタッドレス・タイヤを履いたIさんとSさんのクルマに荷物を積み替えて、私たちは8時50分にIさん邸を出発。上高地の手前の坂巻温泉を目指す。再び乗った中央道からは春霞の中にも結構高い山々のピークが見えていて、この先の天候も良さそうだ。
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 「雪の上高地と穂高・岳沢を見に行きませんか?」

 私の高校時代の山岳部で4年先輩のEさんからそんなお誘いのメールが来たのは、今年1月23日のことだった。山岳部では伝統的に穂高の岳沢を夏合宿のベース・キャンプにしていたので、「岳沢」という言葉に歴代の山岳部員には特有の思い入れがある。上高地から眺めるとまるで扇を開いたような岳沢の谷の形と、その上に西穂高岳から明神岳までの岩稜がズラリと並ぶその姿を聖なるものとして崇めるのは、世代を超えて私たちに共通のDNAなのである。

 この時期、上高地へと向かう道路は、釜トンネルから先の最後の約6.5kmが冬季閉鎖のままだ。雪を踏みながらこの区間を歩かねばならない。当然のことながら上高地の宿泊施設も全て閉鎖中だから、スノーシューやクロカン・スキーで上高地を訪れる人たちも殆どは日帰りだ。それならば我々は冬用テントを持って行って小梨平で幕営し、静かな上高地を楽しんでみないか?というのがE先輩のご提案だった。

 積雪期の幕営なんて、私自身は大学を出て以来のことだから実に35年ぶりになる。それでも、本当の山の中に入るのではなく、標高1500mの上高地・小梨平だから、昔の杵柄でも何とかなるのではないか。そんな訳で、私を含めた高校山岳部OBの6人が「上高地野営隊」として出かけることになった。但し、6人の平均年齢は62.8歳。T君と私が最年少だ。「野営隊」といっても些かシルバー組ではある。

 中央道を順調に走り、松本ICで降りて国道158号に入ると、正面の彼方に常念岳のピラミダルなピークが見えている。全般に春霞がかかってはいるが、北アルプスも案外と天気はいいのだろうか。期待を胸に、奈川渡ダムあたりからは周囲に雪を見ながら走り続け、私たちはちょうど10時30分頃に坂巻温泉に着いた。
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 身支度を整えた後、坂巻温泉のマイクロバスに乗り込み、11時5分に釜トンネルの前に到着。警察官に登山届を提出し、行動内容や装備、経験の有無などの確認を受けて、いよいよ出発である。
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釜トンネルを歩く

 私たちの学生時代、釜トンネルは昔のものだった。上からの落石を防ぐ鉄製のロック・シェッドが右側から道路の真上を覆う箇所がしばらく続き、やがてトンネルに入る。戦前に建設されたもので、トンネル自体は500m強と短いが、狭小・急勾配にして急カーブ。壁面には手掘りの跡が残り、バスの中から見ていてもどこか気味の悪いトンネルだった。当然のことながら片側通行なので、夏の観光シーズンには釜トンネルの信号待ちで随分と長い渋滞が出来ていたものだ。

 対面通行の出来る今のトンネルが供用されたのは、今世紀になってからのことだ。まずは上流側から「上釜トンネル」が建設されて、旧トンネルの途中で合流。次に下流側から新たなトンネルが掘られて上釜トンネルに接続。それを機に旧トンネルは全く使われなくなった。現在のトンネルは全長1,310mである。
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 11時15分、トンネルの中へと私たちは歩き出す。吹き込んだ雪が路面に残っているのは最初のうちだけで、その後は路面の凍結もなく、コンクリートの歩道を淡々と歩くことになる。一定の斜度の登り坂が延々と続く感じである。全長1,310mで標高差は145mだから、平均斜度は110.7‰。箱根登山鉄道の最大斜度が80‰、今の日本の鉄道で唯一アプト式の大井川鐡道・井川線の最大斜度が90‰だから、110.7‰という斜度は人間の足にとってもそれなりの勾配である。
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 途中、天井に照明のある箇所も一部あるのだが、それ以外は真っ暗だから、ヘッドランプを点灯して歩く。梓川の上流ではこの時期も土砂の浚渫作業が行われているようで、途中で数台のダンプ車が上から下りて来た。

 暗闇の中を歩くこと27分。私たちはようやく出口に到着。周囲の雪の量は、やはり入口側よりはずっと多い。そして、産屋(うぶや)沢を橋で渡る所からは、道路にもしっかりと雪が残っていた。
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 時刻は正午に近い。途中で小休止を取り、行動食でエネルギーを補給。そこからは雪を抱いた焼岳(2456m)が墨絵のように見えていた。
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大正池へ

 今回のルートで、私が密かに楽しみにしていた箇所がある。それは、釜トンネルを抜けてこの道路を進み、二つ目の大きな右カーブを切った瞬間に穂高連峰が視界に飛び込んで来る場所である。晴れた日にバスでそこにさしかかると、乗客から歓声が上がる所なのだ。昭和48年の夏、当時高校二年生だった私も、その瞬間に声を上げた一人だった。
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 今回、その瞬間は12時21分に訪れた。右カーブの頂点に達した直後、彼方に壁のような山並みが目の中に飛び込んで来たのだ。奥穂高岳と西穂高岳は雲の中だが、前穂高岳と明神岳の稜線はよく見えている。バスに乗っている時と違って、この景色が歩く速度で展開してくれるのは何とも嬉しいことである。岳沢を目指してやって来たという実感が改めて湧いてくる。その時、私たち6人の体はきっとアドレナリンで一杯だったのだろう。
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(初めて穂高が見える場所)
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(穂高のクローズアップ)

 このカーブから更に10分ほど歩くと、いよいよ大正池の末端に出る。その先には有名なビューポイントがあって、観光バスなら速度を落として見せてくれる場所だ。そして、そこに現れたのは、湖面が凍結した大正池と、その背後に聳える穂高の山並み、そして明るい岳沢の谷だった。彼方の聖地を遠望して、私たちは子供のような歓声を上げた。
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(大正池と穂高連峰)

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(ふり返れば焼岳がきれいだ)

 吊尾根にかかっている雲は、きっと晴れてくれるだろう。それを信じて、私たちは小休止もそこそこに、再び雪を踏んで歩き始めた。

(To be continued)


ほのかな春 - 奥多摩・松生山~浅間嶺 [山歩き]


 奥多摩の浅間嶺(903m)。手軽に登れて山頂からの眺めもいいので、冬季を中心にこれまでも何回か登ったことがある。そこから浅間尾根を歩いて数馬の湯に至る間は、しみじみとして味わい深い。私の好きなコースなのだが、一つだけ難点がある。上川乗からにしろ、時坂峠からにしろ、浅間嶺のピークにはわりとすぐに着いてしまい、昼食には早過ぎる。といって、浅間尾根に入ってしまうと、今度はのんびり食事をするような場所がない。

 そこで、今回は少し違うアプローチを考えてみた。浅間嶺のずっと東側の麓にある笹平というバス停から尾根伝いに登り続けて、浅間嶺の一つ東隣の松生山(まつばえやま、934m)に至るルートだ。昭文社の登山地図ではこのルートは点線表記になっていて、コースタイムも載っていない。とはいうものの、ネットで調べてみると、そこそこ登山者はいるようだ。少なくとも藪をこいだり鉈目を拾ったりするような山道ではなさそうである。
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 標高330mほどの笹平バス停からは、松生山までの標高差が単純計算で600m程度だが、カシミール3Dで調べてみると、尾根道のアップダウンがあるから、数馬の湯までの累積標高差が上り1,000m、下りが700mほどになる。そして歩行時間は、浅間嶺までが2時間40分、数馬の湯までは累計4時間55分と算出された。それならば、少し健脚組を選んで少人数で行ってみようか。そんな企画を始めたのは、山行当日の一週間前を切っていた。
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 2月21日(土)朝7:57に武蔵五日市の駅に着く電車で、私たち4人は集合。タクシー1台で笹平バス停まで20分強、料金はちょうど4,000円ほどだった。道路を先の方向へ少し歩き、右カーブが始まったあたりで、道路の右上に畑があり、その中に二本のアンテナが建っている。それが登山道の目印だ。
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(畑の横から登山口へ)

08:34 登山道入口 → 9:31 701mピーク

 アンテナが建っている畑の右の縁に沿って土の道を登っていくと、それが植林の中に入っていく手前に最初の道標がある。どうせなら下の道路からもう少し見やすい場所にこの道標があれば、と思う人は多いのではないだろうか。
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(これが最初の道標)

 それはともかく、植林の中に入るといきなり急登が始まる。踏み跡は明確ではあるが、尾根を直登していく道で、場所によっては木の根を掴みながらよじ登るほどの傾斜だ。今日は残雪がないからいいけれど、雪を踏むことになったらこの傾斜はかなり厳しいのではないだろうか。
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 早くも汗をかきながら登り続けること20分強。地図上で498mのピークと思われる箇所を通過。暑いので衣類を調節してすぐに歩き出す。そこからは一旦傾斜が緩くなるものの、再び急登が現れる。そのうちに、我々の先を歩いていたおそらく高校生と思われる15人ほどのパーティーに追い着き(引率の先生らしき大人も含まれていた)、先に行かせてもらうことになった。考えて見れば、彼らは我々より40年も年下の若者だ。こんな年寄が追い抜いてしまっていいのだろうか。
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 登り始めて1時間足らずで、地図上の701mピークに到着。殆ど計画通りだ。植林の中で、私たちは短い休憩を取った。

09:36 701mピーク → 09:47 内蔵ノ助山 → 10:15 払沢ノ峰 → 10:45 松生山

 再び歩き始めると、わりとすぐに次のピークがある。植林の中にひっそりと掲げられた「内蔵ノ助山」という手書きのプレート。そこから尾根は次第に北寄りに方向を変え、左側が雑木林になって山道が明るくなっていく。足元には笹が茂り、谷一つ隔てた南側の笹尾根とよく似た雰囲気だ。その笹尾根も、木々の枝の向こうに見えている。
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(尾根道が明るくなってきた)

 山道が更に北向きになると、日陰側の斜面に雪が残るようになった。これから歩いていく松生山までの稜線が木々の向こうに続いている。
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 それから一登りで払沢ノ峰を通過。その先で尾根は再び西向きになり、空がますます明るくなっていく。歩き始めに比べればだいぶ傾斜も緩くなってはきたが、ここまで私たちはごく短い休憩しか取っていなかったから、そろそろ疲労もたまってきた。それでも、先の様子を眺める限りでは松生山のピークは近そうだから、もうひと頑張りすることにしよう。

 そして、払沢ノ峰からちょうど30分。最後の坂を登りきると、松生山の山頂に出た。驚いたことに、こんなひっそりとした山の上に、妙に立派なアンテナが建っている。だが、そのおかげとでも言うべきか、南側の木が刈られていて、大きな富士山を眺めることが出来る。浅間嶺からだと首から上ぐらいしか見えないのだが、この松生山からの富士はなかなか立派だ。これをお目当てにしていただけに、私たちの感慨もひとしおである。
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 今日は風のない実に穏やかな快晴の土曜日になった。2月も下旬。太陽の光はだいぶ力強くなり、日なたは本当に暖かい。これが春の兆しなのか、富士山の青色も今日は少し淡くて穏やかな色である。
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(手作り感たっぷりのプレート)

10:55 松生山 → 11:22 浅間嶺展望台

 松生山から先は、しばらくの間起伏の穏やかな尾根道が続く。途中、天領山という手書きの小さなプレートが木に取り付けられたピークがあるのだが、本日の最高地点(936m)なのにどこが山頂なのかわからない山だ。その次の「入沢山」もそうで、1/25000地図に標高表記もないピークなのだが、ここにも手書きのプレートがある。整備をしてくれた人には、何か思い入れがあるのだろうか。

 その入沢山を過ぎると、山道は一転して大きく下るようになる。木々の間から浅間嶺が下の方に見えている。ずいぶんと下ってしまうように見えるが、実際の標高差では80mほどだ。そして、下りきったあたりから浅間嶺にかけて、尾根の北斜面には一気に残雪が多くなった。
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 つい先ほどまでは、落葉を踏みながら乾いた山道を歩き続けてきたのに、浅間嶺の手前ではノルディック競技でも出来そうなほどの残雪。そして、「浅間嶺展望台まで0.5km」の道標から若干登り返すと、ついに浅間嶺展望台に到着した。笹平バス停からここまで、途中15分の休憩を差し引くと、歩行時間は2時間33分。計画では2時間40分を見込んでいたから、これはもうニアピン賞といっていいだろう。みんなよく頑張ってくれた。
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(浅間嶺展望台に到着!)

 浅間嶺の903mの三角点は、実際にはこの先の森の中にあって展望がない。私たちの立っている展望台は標高900mを僅かに下回るのだが、とにかく四方の眺めがいいので、特に風の強い日でない限り、登山者はここで昼食休憩を取ることが多い。私たちも、北に奥多摩の主稜線、南に富士と丹沢を眺めながら、この展望台で暖かい昼食を楽しむことにした。
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 特に私が飽かず眺めていたのは、北の山々である。青い空の下、御前山の後方に連なる鷹ノ巣山、雲取山、七ツ石山、そして大洞山(飛龍山)。今もなお雪を抱いてはいるが、ほのかに春が香るような眺めだ。
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12:05 浅間嶺展望台 → 12:33 人里峠 → 13:05 一本松 → 13:53 浅間尾根登山口 → 14:05 数馬の湯

 ここからの下りには、山靴に滑り止めを装着。あずまやのある所まで下りると、そこから先の浅間尾根は山道が尾根の北側なので、驚くほど雪が残っている。それも、よく締まっていて歩きやすい雪だ。この区間のスノーハイクは今まで何回か経験しているのだが、ここは実に楽しい。東京都の中でこれほど手軽にスノーハイクを楽しめる場所があるなんて、ちょっと信じられないほどだ。
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 人里峠を過ぎて一本松の直前あたりで山道が一度尾根の南側に出る箇所がある。ほんの少しの場所の違いで、そこには全く雪がなく、明るい午後の光が降り注いでいる。そこから先の山道は日陰と日なたが交互にやって来て、その度に地面の雪が現れては消える。彼方の山々に雪は残るが、私たちを取り囲む落葉樹の無数の枝は、明るい太陽の下で真冬の眠りが少し浅くなり始めているようにも見えた。
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(生藤山を望む)

 陰と日なた、残雪と太陽、冬と春との静かなせめぎ合い。山道を歩きながら、いつしか私はガブリエル・フォーレのピアノ五重奏曲第2番を思い出していた。今頃の季節に陽だまりの暖かさを楽しみながら聴くのが、私は好きだ。深い響きのある弦楽四重奏と流れるようなピアノの組み合わせが、沢の雪解けを思わせる。

 数馬分岐から山道を南に辿ると、とんとん拍子に高度を下げ、民家が表れて呆気なく舗装道になる。南秋川に架かる橋を見下ろすと、ここでも雪景色の名残と早春の太陽が静かに力比べをしていた。
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 橋を渡って檜原街道を右に向かうと、やがて数馬の湯が見えてくる。14時05分着。計画では14時10分着の予定だったから、今日は文句のつけようがないほど計算通りに行程が進んだことになる。健脚が揃って本当によかった。みんな、ご苦労さまでした!

 それからゆっくりと汗を流した数馬の湯には、立派な雛段が飾られていた。都会より山の方が春は遅いのに、山の中を歩いて、むしろ都会よりも先に春の兆しを見つけたような半日だった。

華麗なる「転進」 - 高川山 [山歩き]


 1月30日(金)、全国のかなり広い地域でこの日は朝から雪になった。

 まだ1月なのに、この冬は西高東低の気圧配置が長続きせず、週に一度は気圧の谷がやって来る。東京では30日の未明から雪になり、会社に着いた後からは本格的に降り始めた。それは、正午には雨に変わったので、結果的に都市部では殆ど積雪にならなかったのだが、山の方はそれなりに雪が降り続いたのではないだろうか。
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 この日の午後から、私は山仲間のT君とメールをやり取りしていた。二日後の日曜日に総勢9人で奥多摩の笹尾根を歩く予定にしていたので、それを予定通り挙行するかどうかの判断に関することだった。

 インターネットで情報を集めてみると、山梨県東部地方では、今月はそもそも15日(木)にまとまった降雪があったようだ。26日の時点で、標高1,000m前後の山の頂上には20cmほどの積雪があるという。そして更に27日と30日が雪になった訳だ。笹尾根も同様に標高1,000m前後の地形が続く。南向きの箇所が多いから雪解けも早いのだろうが、この分だと主稜線は雪を踏みながら歩くことになるのではないか。

 何よりも、笹尾根の登山ルートは登りの標高差が累計で1,000m以上もあり、そこに雪が残っていると余計な体力を使うことになるだろう。それは、今回のメンバーにはちょっと厳しいかもしれない。ならば、大雪の場合に備えて考えておいた代替プランを発動すべきではなかろうか・・・。

 メールを交わしているうちに、T君と私の意見はそういう方向へと収束していった。代替プランは、JR中央本線の初狩駅から歩いて登山口に向かう高川山(976m)のコースだ。山の北斜面を登るから積雪は多いはずだが、駅から山頂まで上りはCT:1時間50分、下りが1時間30分という距離の短いコースだから、ゆっくり歩いてもいつかは山頂に立てる。70歳代の先輩方にもご参加いただいている今回は、この高川山へと「転進」を図った方がいいだろう。この金曜日の夜に、私はその旨のメールを参加予定者全員に送ることにした。
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 2月1日(日)、朝8時44分に高尾を出る普通列車に集合。日の当たらない土地に若干の雪が残る景色の中を、電車は西へと走る。そして、9時32分に初狩駅に到着すると、高川山を目指す登山者たちが他にもぞろぞろと降りてきた。雪が降った後の山を楽しむには、やはりここは手軽なコースなのだ。そう言えば、昨年の「バレンタイン豪雪」の一週間後にも、私たちはこの高川山で深い雪を楽しんだことがあった。

09:41 初狩駅 → 10:05 登山道入口
 初狩駅に着いた私たちB組の4人は、靴底に滑り止めを付けて登山道入口を目指す。中央本線のガードをくぐり、民家の間の道を道標に従って南方向へ。昨年の大雪の時はこれらの道標が雪に埋もれてしまっていて、私たちはこのあたりから早くも道を間違えてしまったのだが、今回はその教訓が残っているし、雪も少ないから心配はない。30分足らずで植林の中の登山道入口に付いた。
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10:11 登山道入口 → (女坂コース) → 11:01 男坂・女坂合流点 → 11:20 高川山
 今朝は、70歳代の先輩方を含むA組の5人が、我々より一本早い電車で、つまり40分早く初狩に来て、この同じコースに入っている。歩くスピードがB組とは違うから、ということなのだが、後を行く私たちとしても先輩方を山の中であまりお待たせする訳にもいかないから、ついせっせと歩くことになる。結局、高川山登山道の男坂と女坂が分かれる分岐点の手前で、私たちはA組に追い付いてしまった。山道にはそれなりの積雪があったので、この地点で我々はアイゼンを着用することにした。
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 女坂に入った後は、B組が先に行かせていただくことになり、私たちは自分のペースで登る。女坂は日当たりの良い箇所があって道の雪は消え、山道がUターンするようにして北西方向へと登っていくと、やがて左手に富士山が頭を見せ始めた。雪煙は上がっているが、雲は全く湧いていない。この分なら、今日はこんな風にスッキリとした富士の高嶺を一日中眺めていられそうだ。
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 登山道に入ってから凡そ50分。男坂と女坂が再び合流する地点に到着すると、そこから先は雪が多くなった。高川山の山頂までの残り20分ほどは傾斜も緩く、雪を踏みながらの山歩きを楽しめる箇所だ。
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 そして、頭の上の空がひときわ明るくなると、高川山の山頂の西側にポンと出る。そこでは、大きな大きな富士山が私たちを待っていてくれた。
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 山頂から北西の方向を眺めると、笹子峠の向こうに南アルプス・間ノ岳の姿が。そして北方向には小金沢連嶺のハマイバ丸や黒岳、そして雁ヶ腹摺山が大きく迫る。高川山に来たのはこれで5回目ぐらいではないかと思うのだが、これほどまでに雲一つない富士山をここから眺めたのは、今回が初めてである。
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(南アルプス・間ノ岳)

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(ハマイバ丸(左)と黒岳(右))

 私たちが山頂を踏んでから20分ほどでA組も順次到着。既に湯を沸かし始めていた私たちは、それから鍋焼き(風)うどんを作り、熱々のところを先輩方と共に頬張った。幸いにして思ったほどの風もなく、日差しの暖かい山頂で私たちはのんびりと昼食を楽しむことが出来た。
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(後方は笹子の山々)

12:40 高川山 → 13:30 登山道入口 → 14:05 初狩駅

 山を下りる。来た道とは反対方向の都留市側へと下りる手もなくはなかったのだが、今日のメンバーのことを考えれば、状況がわかっている道を引き返した方が無難だろう。

 下りではあまり差がつかないから、A組とB組は一緒に行動。山道の分岐点では男坂を下ることにした。西側へ迂回していく女坂よりも、ぐんぐんと下って行く男坂の方が距離も短くて手っ取り早い。誰かが大きく遅れるということもなく、私たちは山頂から50分ほどで林道の出合に着いた。後は初狩駅まで30分足らずの舗装道歩きだ。
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 駅に着いたら、ちょうど3分後に上りの高尾行がやって来るという。それに乗って高尾で電車を乗り換えれば新宿には16時頃に着いてしまう。いつもの居酒屋での「反省会」も、今日はだいぶ早いスタートになりそうだ。

 ところで、今朝女坂の登りですれ違った登山者から教わったのだが、初狩駅の駅裏に日帰り入浴が出来る『八幡荘』という民宿があるそうだ。入浴料1,000円で、湯上りにおでんを出してくれるという。ネットで調べてみると、下山後に利用した登山者たちが案外いることがわかった。洗い場が小さいので大人数での利用には向かないようだが、いつか機会があったらトライしてみようか。
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初富士 - 高松山・シダンゴ山 [山歩き]


 「西相模の足柄郡(あしがらごおり)は、足柄山塊がかさなりあって、ほとんどが山地である。  野は、ある。北から南へ流れる酒匂川(さかわがわ)とその支流群がつくっている平野で、その河口付近に小田原があり、その中流に松田がある。」
(『箱根の坂』 司馬遼太郎 著、講談社文庫)

 新宿から小田急ロマンスカーに乗って1時間と3分。四十八瀬川の渓谷を下り、東名高速道路の下をくぐって野に出たところが新松田の駅である。あたりは、まさに司馬遼太郎が描いたような地形だ。冬晴れの青い空と箱根の山々。そしてその彼方には雪を抱いた富士山の大きな姿がある。

 駅前からタクシーに乗って30分弱。国道246号が山北町に入り、高松山入口のバス停で右折して尺里(ひさり)川沿いの細い林道を登りつめた所が尺里峠だ。山北町と松田町の境界上にある、樹林の中のひっそりとした小さな峠である。

 成人の日の前日の日曜日。新年初回の山行には8人の仲間が集まった。今日はこれから尾根伝いに高松山(801m)~シダンゴ山(758m)を歩き、寄(やどりぎ)へ下りる予定にしている。高松山から先はアップダウンの多い山道だ。
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08:47 尺里峠 → 09:30 高松山

 今日のコースは2年前の1月にも歩いたことがあった。その時は雪が降った翌々日だったので、コースの大部分はスノーハイクになったのだが、今年は晴天続きだから雪のない低山歩きだ。霜柱を踏む時のサクサクとした感触が小気味よい。

 尺里峠は標高536mだから、高松山までは標高差265mほどの登りである。ヒノキの植林の中を黙々と登っていく道で、特に急登というほどのものはない。途中、右手に一箇所だけ、木々の間から丹沢の表尾根を眺めることが出来る以外には展望が得られないのだが、それでも40分も歩けば行く手に青い空が広がり、高松山の山頂が迫ってくる。
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(高松山山頂の直下)

 そして、予定通り9:30に到着した高松山の山頂には他に登山者もなく、そこからの広い眺望を私たちだけが楽しむことになった。
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 今朝はよく晴れて冷え込んだが、幸いにして風は穏やかだ。お目当ての初富士はもちろんのこと、目の前に勢ぞろいした箱根の山々も見事である。そして目を左に転ずれば、朝日に輝く相模湾の向こうに、真鶴半島や初島、そして伊豆の大島が見えている。
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 眼下には、酒匂川によって作られた平野が海に向かって広がっている。今朝電車を下りた松田はその平地の縁(へり)のような位置にある町だ。

 「松田は、ゆたかな田園である。
 その背後の山々を縫って中津川、四十八瀬川が流れ、やがて川音川として合流し、松田にいたって野に入る。と同時に酒匂川に合流する。(中略)

 この付近一帯を領する者が松田氏を称した。源平合戦のころから松田の某(なにがし)があらわれ、功によって松田庄(まつだのしょう)をあたえられた。」
(引用前掲書)

 ここでいう松田氏のルーツには諸説があり、その一つは平安時代中期の藤原秀郷に遡るというものだ。秀郷は百足(ムカデ)退治の伝説で有名な俵藤太と同人物で、平将門を討ち取ったことでも知られている。藤原姓を名乗っているが、本当は下野国の土豪の出ではないかとも言われる武将である。その子孫の経範が11世紀の前半に現在の秦野市に移り住み、「波多野」を名乗ったという。その勢力は現在の松田町や山北町にも及んでいたそうだ。
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 経範の時代から源氏の嫡流に付き従っていたが、4代目の義通が源義朝と不仲になり、その子・義常は源頼朝の伊豆挙兵の際に頼朝と敵対。後に頼朝が天下を取ると自刃している。だが、義常の子・有常は許されて御家人となり、松田姓を名乗るようになったという。

 そして、その時代から140年余り。上州に挙兵した新田義貞が鎌倉攻めに向けて南進した際に、松田氏をはじめとする相州各地の勢力が分倍河原で新田軍に加勢。これが倒幕への大きな決め手となった。更にその後世、北条早雲が箱根の山を越えて小田原を支配すると、松田氏は後北条氏の有力家臣団に入っているから、関東の中世史において松田氏はなかなかの活躍を見せた一族と言えるだろう。

 なお、現在の松田町は、松田惣領、松田庶子、神山(こうやま)、寄(やどりぎ)の4地域からなっているのだが、「惣領」・「庶子」という武家の相続を思わせる言葉が地名に残っているのが興味深い。しかも、地図をよく見てみると、松田惣領の中に松田庶子の飛び地が点在しているのが何とも不思議である。(郵便配達などは困らないのかな?)
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(赤色の線で囲まれた部分が松田庶子の飛び地)

09:45 高松山 → 10:00 ヒネゴ沢 → 10:35 29号鉄塔

 高松山から先は、いよいよアップダウンの繰り返しになる。山道が北斜面を下るようになり、陽が当たらないので霜柱がよく締まっていて歩きやすい。下っていく途中に、植林の間から丹沢の表尾根が見えていた。こうして眺めてみると、丹沢も案外と深い山並みである。
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 高松山から下り続けた最低鞍部がヒネゴ沢。その先には805mピーク(西ヶ尾)までの標高差80mほどの登りが待っている。そしてもう一度100mほど下り、再び小さく登り返したところが29号鉄塔だ。その鉄塔の下で青空を眺めながら、私たちは小休止を取った。
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10:40 29号鉄塔 → 11:12 秦野峠分岐 → 11:30 ダルマ沢ノ頭

 鉄塔の先には、標高差100mの登りがあるのだが、これがとんでもない急傾斜だ。尾根の上をひたすら直登する山道。もう少し作りようがあるような気もするが、そういつまでも続く登りではないから、ともかくも頑張ることにしよう。
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 山道の傾斜が緩やかになると、そこから先のルートは右カーブを切りながら東へと向いていく。要するに富士山が背後に回るのだが、その富士には既に雲がかかっていた。左手は落葉樹の森で視界が良く、丹沢の檜岳(ひのきだっか)が目の前に大きく構えている。

 秦野峠からやってくる山道が左から合流する地点まで緩やかな登りが続き、少し下ると、その先にまたしても直登が待っている。本日の最高地点、ダルマ沢ノ頭(880m)への標高差50mほどの登りなのだが、山道というよりも長い階段である。それを登り切った所で、再び小休止。11時半になり、メンバーも空腹を感じ始めた。計画よりは少し早めに行動しており、シダンゴ山まであと1時間はかからないだろうが、小休止の後はもうひと頑張りだ。
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11:40 ダルマ沢ノ頭 → 12:00 林道出合 → 12:15 シダンゴ山

 ダルマ沢ノ頭から先は急な下りが続く。標高差にして200mほどを一気に下るのだ。このあたりから、私たちとは逆回りに歩いて来る登山者たちと何度かすれ違うようになった。ここを登って来るのは大変だろう。

 やがて金属製の梯子が現れ、それを下ると舗装林道に出た。そこからは丹沢・鍋割山や塔ノ岳の眺めが素晴らしい。実に堂々としていて、つい見とれてしまう。
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 シダンゴ山はもう目の前だ。しばらく植林の中を登り、やがて空が明るくなっていくと、子供たちの歓声が聞こえ始めた。山頂は何やら賑わっているようだ。

 そして、12:15 に山頂に到着。本日の登りはここまでだ。山頂はほぼ360度に近い展望があって日当たりが良い。相模平野の向こうに海が輝き、三浦半島やその奥の房総半島までもが見えている。そして、丹沢の蛭ヶ岳から大山までが勢ぞろいだ。
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 うまく風を避けながら私たちは皆で餃子スープを作り、餅やラーメンまで入れて暖かい昼食をとった。冬の低山歩きは、やはりこれが一番の楽しみだ。あまり解凍が進まない状態で冷凍食品を持って来られるのも、この時期のアドバンテージ。それに、冷凍餃子はそれ自身から出汁が取れるからスープが美味しくなる。今後も色々と活用が出来そうだ。
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13:20 シダンゴ山 → 14:05 寄バス停

 山頂で歓声をあげていたのは、青い帽子に小熊のマークをつけたカブスカウトの小学生たちだった。東京あたりではもう見かけなくなった姿だが、リーダーの統率の下、皆で山に登り、山頂で食事をした後は体を動かして無邪気に遊ぶ、その様子がどこか懐かしく、また頼もしくも見えた。今日一日の行動は、彼らの成長過程においてかけがえのない体験になることだろう。

 その小学生たちと前後する形で、私たちも山を下りる。この下山道は、国土地理院の「電子国土Web」に掲載されている地図には載っていないのだが、シダンゴ山から東に派生する尾根沿いに標高550mあたりまで下り、それから南にトラバースしていくと、送電線をくぐる手前で舗装林道になる。その先もぐんぐんと下っていくので膝が痛くなりそうだが、下界の集落も順調に近づいてくる。民家や茶畑が道の両側に現れるようになると、終点も近い。
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 私たちは予定よりもだいぶ早く寄バス停に到着し、新松田駅行きのバスを待つ。そのバスには先ほどのカブスカウトの小学生たちも一緒に乗り合わせた。シダンゴ山の山頂であれだけ元気に走り回っていた彼らは、帰りのバスに揺られているうちに座席で早くもコックリコックリを始めていて、何とも微笑ましい。それぞれのお家に帰ったら、今夜はぐっすりと眠ることだろう。

 15:10 新松田駅前に到着。小田急線のホームからもう一度箱根の山々を眺めると、一日続いた青空に少し赤味がかかり始めていた。


冬支度 - 奈良倉山・鶴寝山 [山歩き]

 落葉を踏む季節になると、歩いてみたくなる山がある。

 澄みきった青い空。肌を刺す朝の寒気。すっかり葉の落ちた明るい雑木林と、その奥に連なる遠い山々。深い落葉を踏みしめながら、樹林の中の山道を黙々と登り詰めて穏やかな山頂に至ると、そこに待っているのは飛切りの富士の眺め。

 山梨県の大月市と小菅村の境にある奈良倉山(1349m)は、そんな山である。この山に相応しい季節が、今年もまたやってきた。

 12月7日(日)、暦の上では大雪だ。師走に入り世の中もさすがに慌しくなってきたからか、或いは今朝が予報通りこの冬一番の冷え込みになったからなのか、朝の上野原駅で降りた登山者の数はいつもの週末ほど多くない。階段を上がってバス乗り場に向かうと、08:08発の鶴峠行きのバスが出ようとするところで、私たちはそれに乗り込むことになった。本来は8:30発の松姫峠行きのバスで鶴峠まで行く予定だったのだが、朝のこの冷え込みの中で、その時間まで待たなくて済むのはありがたい。

 それにしても、今朝は綺麗な冬晴れだ。バスが甲州街道を離れて県道33号を走り始めた頃、左の車窓には里山の向こうに真っ白な富士の高嶺が頭を出していた。

 上野原駅から山間の道路をバスに揺られて一時間。ようやく着いた標高870mの鶴峠は、三頭山と奈良倉山に挟まれた深い山の中。あたりは目立たない景色だが、実は多摩川と相模川の分水嶺の一つなのだ。そして、今日これから私たちが歩くコースも、その大半が分水嶺の尾根である。
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 いつもの山仲間たちと続けてきた週末日帰りの山行も、色々事情があって一ヵ月半ほどのブランクが出来てしまった。久しぶりに集まった今回は、総勢13名。下界に比べて鶴峠は一段と寒いけれど、これから始まる半日の山歩きを前に、みんな笑顔だ。
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09:27 鶴峠 → 11:03 奈良倉山

 奈良倉山を目指し、陽の当たらない登山道を登り始める。東京で冷たい雨が降った三日前の木曜日は、山では雪だった。それがまだ融け残った白い山道が続いている。足元から伝わってくる冷気。手袋が欲しい寒さだ。
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 ここは奥多摩の山々の続きのような山域。木々の枝の向こうに奥秩父の主稜線が長々と横たわっているのだが、それらを全部すっきりと展望できるような場所がなかなかないのも、奥多摩らしい。それでも、木の枝に邪魔されずに飛龍山から甲武信岳までの山並みを眺められるスポットを何とか見つけた。寒い空の下、標高2000m級の主稜線は、もう冬の装いだ。
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 鶴峠から凡そ45分。薄暗い植林の中を登ってきた山道が未舗装の林道に合流するところで、東側の展望が開けた場所がある。ここで小休止を取りながら大きな三頭山を眺めるのが、私は好きだ。
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 この場所は日当たりが実によく、笹尾根の方角から朝日がたっぷりと私たちを照らしてくれる。体もホカホカしてきた。太陽の光の暖かさをしみじみと噛みしめるようになると、山の冬はもう始まっているのかもしれない。登ってきた方角の彼方には、奥多摩の鷹ノ巣山(1737m)がさりげなくその姿を見せていた。
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 林道との合流点を過ぎると、山道の傾斜が増していくと共に、植林が終わって落葉樹に囲まれるようになる。深い落葉と裸んぼの木々、そして群青色の空。冬が来た!と、誰かが森の中で囁いたような気がした。
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 落葉を踏みながらなおも登り続け、山道が南へ回りこむようになると、木々の向こうに富士山の輪郭が見え始める。そして更に一登り。鶴峠から1時間半ほどをかけて、私たちは奈良倉山の静かな山頂に着いた。道標がなければどこがピークなのかわからない、あたりは全くの森の中。けれども南側の一角だけ木が払われて空が明るい。私たちはそこへ歩みを進め、そして誰もが思わず声を上げた。
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 寒気の中に天を突く奈良倉山からの富士。この眺めを目の前にしたのは、私自身はこれで3度目になるのだが、いつ見ても心を揺さぶられ、思わず背筋を伸ばしたくなる風景だ。
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11:17 奈良倉山 → 11:51 松姫峠 → 12:17 鶴寝山

 いつまでも眺めていたい富士を背に、山道を進む。奈良倉山の山頂から西方向に軽く下ると、そこから松姫峠までの30分ほどはのんびりとした林道歩きだ。両側の落葉松の森はもう枝ばかりになって、遠くの山並みが見通せる。左は小金沢連嶺、右は鷹ノ巣山・雲取山から奥秩父へと続く主稜線。いかにも分水嶺の上を歩いている気分だ。こんな景色を楽しめるのなら、林道歩きも悪くない。
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 舗装道路を一度横切ることになる松姫峠からは、小金沢連嶺がよく見えている。特に雁ヶ腹摺山(1874m)のドーム状の山頂が堂々としていて印象的だ。
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 お昼も近くなった。昼食を予定している鶴寝山(1369m)までは松姫峠から標高差120m、所要時間30分足らずの登りだ。先輩方にはゆっくり登っていただくことにして、我々「飯炊き隊」は先に上がって炊事を始めよう。この区間が今日最後の登りである。
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 「鶴が寝る」という言葉に、この山の命名者はどんなイメージを重ねたのだろう。私はその言葉にゆったりとした響きを感じるのだが、登ってみればその通り、鶴寝山は実に穏やかな形の山だ。落葉樹に覆われているが、今は木々の向こうに遠くの山々も見えて、山頂は明るい。私たちはさっそく火器を並べて湯を沸かし、暖かい昼食を作った。
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 今日のように風がなく、陽の光が降り注ぐ日でも、この季節になると山頂では寒さが身にしみるから、暖かい食べ物・飲み物はありがたい。そのうちに先輩方も順次到着し、私たちは静かな山の上で賑やかに食事を楽しむことになった。空は少しずつ高曇りになっていたが、富士の高嶺はここでもひっそりとその姿を見せていた。
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13:26 鶴寝山 → 13:50 山沢入りのヌタ → 15:20 小菅の湯

 冬至まであと二週間。午後の日が傾くのは早い。鶴寝山から更に尾根を北西に辿り始めた頃、ブナの森を照らす太陽には薄雲のフィルターがかかって、白くぼんやりとしたものになった。

 山道を覆い隠してしまうほど落葉の中を進む、しみじみとしたブナの森の道は、今日のコースの中では山の深さを最も感じる箇所だ。だからこそ、訪れるなら今の季節がいい。枯葉色の景色に包まれて、自分は今、山の中を歩いている、ただそのことが幸せに思えて来る。足元に散らばる栗のイガには、明らかに動物が中身を取った跡が。生き物たちは、みんな冬支度の最中だ。
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 「山沢入りのヌタ」と道標に書かれた場所で山道が分かれ、私たちはいつものように右(=北)に向かう下山路を進む。北斜面の道には再び雪が残り、地面は堅い。高度をぐんぐんと下げ、山道が大きく右に曲がる所で、私たちは今年もまたトチの巨木に出会った。
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 時計を見れば、まだ午後の2時台なのだが、陽の当たらない北斜面の下山路は早くも薄暗くなってきた。気温も下がり始め、鼻の頭や手の先が冷たい。下山後の「小菅の湯」を楽しみに、頑張って下ろう。
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 水が涸れた沢の源頭を渡ると、今度は尾根道を一気に下る。やがて水量の豊かな沢に沿ってワサビ田が続くようになると、後は民家が現れるまで林道歩きだ。ここまでの下りは結構長く、予定の15時をだいぶ過ぎた頃になって、私たちは小菅の湯にたどり着いた。山里はもうすっかり日影に入り、西の空には早くも赤味が射し始めていた。
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 私より5~12年も上の先輩方も交え、13人で楽しく過ごした師走の日曜日。奈良倉山からの富士の高嶺や下山路のトチの巨木などとの再会を果たしながら、この山域の持ち味を静かに噛みしめた半日だった。

 家に帰ったら、私もそろそろ冬支度を始めることにしよう。


暖機運転 - 高尾山・小仏城山・景信山 [山歩き]

 新嘗祭の三連休の初日。朝から晩秋の澄み切った青空が広がっている。京王線の電車が多摩川の鉄橋を渡る時には右手の窓に奥多摩の山々が並び、大岳山の尖った山頂がすぐにそれとわかる。そして、視線を左に動かしていけば、丹沢の山並みが一際鮮やかで、その向こうに富士の高嶺が鎮座している。二日前の木曜日に東京で降っていた冷たい雨が山では雪だったようで、富士山もずいぶんと下の方まで雪景色になった。

 高尾山へ行くには、京王線の新宿を朝7:30に出る最初の特急が便利だ。乗り換えなしの46分で終点の高尾山口まで行ける。この日の朝もこの電車を利用した登山客が多く、山の麓の終着駅は早くも賑わっている。私は飲み水のペットボトルを売店で買って、早速登山口へと向かった。

 私にとっては28日ぶりの山である。というよりも、先月末に十二指腸に小さな手術を受けてから23日目。そのための入院生活を終えてから12日目。いずれにしても、この1ヶ月近く、ロクに体を動かしていなかった。今日はそのブランクを多少なりとも埋めるためのリハビリのようなものだ。

 これから高尾山(599m)、小仏城山(670m)、景信山(727m)を経て小仏バス停まで、距離にしてちょうど10km、登山地図上のコースタイム4時間10分のルートを歩くつもりでいる。この三連休の最終日あたりに実行してみようかと考えていたが、実家の都合が変わって今日の方が自由になった。高尾山の周辺ならば、前夜にスケジュールが決まっても対応できる山域だから、気が楽である。
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(三つの山を越えるコース)

08:27 高尾山口駅前 → 09:00 稲荷山展望台(2分休憩) → 09:32 高尾山山頂

 既に長い行列が出来ているケーブルカーの乗り場を尻目に、その左側に隣接する登山道入口から、さっそく山道の登りが始まる。高尾山の稲荷山コース。高尾山に上がる多数のルートの中で一番南側にあり、一番距離が長い。リフトやケーブルカーとは無縁のルートだから登山者も相対的には少ないだろう。

 私の退院日から9日目の今月19日の外来診療で、執刀医から最終的な説明を受けた。今回の手術で治療は完了。術後の経過も順調なので、刺激物やアルコールの摂取、そして激しい運動は、あと二週間我慢すれば解禁とのことだった。といっても、ハイキング程度なら「激しい運動」には入らないと元々言われていたから、それならばリハビリのような低山歩きをそろそろ始めてみようか。まあ要するに、じっとしているのもそろそろ退屈になった、というのが本音のところである。

 従って今日は、「上りでは息づかいが荒くなるほどペースを上げず、下りでは走らないこと」を自分に言い聞かせながら歩いてみることにした。歩行距離10km、上りの累積標高差が900m、下りのそれが800mだから、無理のあるコースでは全くないし、そういう「暖機運転」で歩いてみた結果がコースタイムとどれほど違うのかも、今後の参考になることだろう。

 稲荷山コースを登り始めて10分もすると、ゆっくり歩いているとはいえ暑さを感じるようになり、朝から着ていたウィンドブレーカーを脱ぐ。植林の中の比較的単調な山道だから、何に気をとめるでもなく黙々と歩き続けると、東屋の前にちょっとした展望台のある場所に着いた。地図上では稲荷山となっている付近だ。真東から少し北寄りの方角に下界の展望が開けていて、所沢のドーム球場の屋根などが見えている。
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 稲荷山から先も淡々とした登りが続き、あまり印象に残る景色はない。そのうちに6号路が右から合流するあたりから、前方右手の上の方に高尾山の山頂に続いていると思われる尾根が見え始める。そして、左手には木々の間から純白の富士山を垣間見る場所もあり、山頂からの展望に期待がかかる。程なく山道の分岐があり、正面に続く階段状の山道を一登りすれば、登山客で賑わう高尾山頂に飛び出すことになる。ここまで、高尾山口駅前からのラップタイムは1時間3分だ。

 雲一つない快晴の今日は、山頂からの山々の展望が素晴らしい。均整の取れた三角形の大山から西に向かって延々と続く丹沢の山並み。そして大室山の右奥に聳える富士の高嶺。今月の上旬まで入院していた都心の病院の窓から、よく晴れた日にはこの同じ山々を眺めていたのだが、その病院から30kmほど西にやって来ただけあって、丹沢も富士もそれよりは近くに見えている。そして、丹沢とは実に堂々とした山並みなのだと、改めて思う。
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(中央奥が信仰の山・大山)

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(丹沢の全景)

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(富士山のクローズアップ)

09:38 高尾山山頂 → 10:10 一丁平展望台(6分休憩) → 10:31 小仏城山山頂 (5分休憩)

 高尾山から西方へ、山道は一度緩やかに下り、一丁平に向かって再び登り始める。春の桜の頃は人気を集めるスポットだが、今はその桜の木もすっかり葉が落ちている。代わって、ススキの穂が晩秋の陽を浴びて輝いていた。

 やがて、東屋やベンチが置かれた一丁平園地を通り過ぎる。その先をもう少し登ると、山道が尾根の左側へ回り込んだ所で南から西方向にかけての展望が大きく広がる一丁平の展望台に着く。ここは本当に眺めの素晴らしい場所だから、時間を気にせずにゆっくりと山の景色を眺めよう。

 ここからの丹沢は、特に蛭ヶ岳から西へと続く山並みがよく見える。28日前に登った西丹沢の檜洞丸。そのピークは見えないが、そこに至る犬越路から小笄・大笄への稜線がなかなか立派である。
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(一丁平からの丹沢と富士山)

 富士山の更に右側にも山並みが続き、三つ峠山や笹子周辺のお馴染みの山々と再会。やはり思い立ったが吉日で、今日はここまでやって来た甲斐があった。そして、驚いたのはその笹子の山々の向こうに標高の一際高い山脈が連なり、その中の二つのピークが雪を抱いていたことだ。それが南アルプスであることはその場でわかったのだが、あの冠雪のピークはどの山なのだろう。帰宅後に調べてみると、それらは共に3000m級の農鳥岳と塩見岳だった!奥高尾の一丁平から南アルプスが見える、それは私にとっては嬉しい驚きである。
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(一丁平からの南アルプスの遠望)

 一丁平で山々の写真を撮っている間に6分が経過した。先を急ごう。いや、今日は急いではいけないのだった。ゆっくり行こう。「激しい運動」にならないように。いつもの癖が抜けないのは困ったものだ。

 山道が再び尾根上に戻り、樹林の中を歩いていくと、木々の向こうに無線中継所のアンテナ塔が見え始める。小仏城山のピークはもう近い。すぐに木道が現れ、傾斜が緩やかになると城山のピークの南端に出た。お馴染みの緑地の向こうに、大室山と富士山がいつものように並んでいた。
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(小仏城山の山頂)

10:36 小仏城山山頂 → 10:54 小仏峠 → 11:20 景信山山頂(26分休憩)

 城山から北は何度も歩いたことがあるので、肌感覚を持っている。次の景信山までコースタイムは1時間となっているが、いつもは40分を若干切るぐらいで歩いてきた。小仏峠までの下りが北斜面で、日当たりが悪いために山道はいつも湿っていて滑りやすい。そして小仏峠から先の登り返しは、今度は南斜面だ。最初のうちは薄暗い森の中で傾斜が案外キツいが、それを越えれば次第に展望が広がって明るい山道になる。今日はあまり頑張らずに、息が荒くならないよう自分なりの暖機運転で景信山を目指した。

 結局、この区間のラップタイムは44分。大勢の登山者で賑わう山頂の茶店の一角で、富士山が見えるベンチに席を取り、名物のなめこ汁を注文。持参したおにぎりで昼食を済ませることにした。
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(景信山の山頂)

11:46 景信山山頂 → 12:30 小仏バス停

 景信山から小仏バス停への下りも、何度も通った道である。トントン拍子に下って行く道で、距離は短いのだが、登って来るのは結構大変なのではないかと思い、いつも下山道に使うだけである。但し、いい気になって駆け下る最中に尻餅をついたことが何回かあるので、走ってはいけない今日は、ともかくも自制して下りよう。

 最初の内は落葉樹の続く中を下る日当たりの良い道だが、植林の中を下るようになると、少し薄暗くなる。やがて、中央自動車道を走るクルマの音が次第に大きくなり、眼下に小仏トンネルの入口が見えてくる。そして山道は右に折れ、下りきったところが舗装道路との出合だ。小仏バス停まではそこから10分もかからない。

 12時30分ちょうどに小仏バス停に到着。結局、景信山の山頂からは44分をかけて下りてきたことになる。コースタイムは40分だから、まさに暖機運転の半日だった。
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 高尾山口からここまで、今日のコースの所要時間は、山地図上では4時間10分。朝の八時半前にスタートし、途中の休憩や昼食に計30分を見込んで、このバス停には13時に着く計画にしていた。それを3時間18分で歩き、休憩と昼食に計45分をかけても12時半にバス停に着いたので、予定より一本早い12時40分発の高尾駅北口行きのバスに乗ることが出来た。この後、電車を乗り継げば14時過ぎには池袋に戻れるから、家内と約束していた買い物への付き合いも、少し早く始めることが出来そうだ。
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 今日はひとまず暖機運転で、身近な山を一回りすることが出来た。しかし、医師から指示されている食べ物・飲み物と「激しい運動」への制限は、まだあと10日残っている。その間は引き続き自制を続け、決して無理をせず、完全復活への道をゆっくりと辿ることにしたい。

 焦らずとも、山は逃げないのだから。

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秋の再訪 - 西丹沢・檜洞丸 [山歩き]

 西丹沢の山へ行く時は、いつも朝が極めつきに早い。

 登山の起点となる西丹沢自然教室に8時半に到着する朝一番のバスは、小田急の新松田駅前を7時20分に出る。そこから逆算すると、都内の自宅を4時50分には出なければいけない。要するに4時起きだ。といって、前夜に早く就寝できる訳でもないから、寝不足で出かけることは避けられない。この日も実質は3時間睡眠だったので、新松田から乗り込んだバスの中ではウトウトし続けていた。

 そのバスは定刻に終点へと到着。私たち5人のメンバーは身支度を整え、H氏が予め作成しておいてくれた登山届を出して、計画通り8:40に行動を開始した。H氏の山仲間のTさんとMさん。それにH氏や私と同年のKさんが紅一点だ。私はTさんとは初対面だったが、お互いに山が好きな人間同士。一緒に歩き始めれば、もう仲間だ。
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(朝の西丹沢自然教室前)

 私にはちょっとした事情があって、この先1ヶ月ほどは週末の山歩きにも参加できなくなる。そのことを事前にH氏に伝えたところ、それならばその前に一度ガッツリ系の山へ行こうというお誘いをいただいた。しかもH氏との間では、どこへ行くかも「阿吽の呼吸」で最初から決まっていたようなものだった。西丹沢自然教室から犬越路を経由して時計回りに檜洞丸(1601m)に登って来ようというプランである。登山地図に載っているコースタイムは6:35、累積標高差が1300m超というなかなかしっかりしたコース。そこに去年の秋にH氏と私は二人で登り、そのガッツリとした手応えが忘れられずにいたのである。

08:40 西丹沢自然教室 → 09:05 用木沢 → 10:15 犬越路

 バスの終点から用木沢の出合までの林道歩きは、コースタイムを縮めようがない。せっせと歩いていると、既に紅葉が始まった彼方の山の斜面に朝日が当たり、それだけでも華やいだ雰囲気だ。そして振り返れば、沢の対岸にある直ぐ近くの山でも思っていた以上に紅葉が進んでいる。やはり、秋の山は楽しいな。
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 用木沢出合から右へ山道が分かれ、沢に沿って暗い森の中へと入っていく。立派な鉄橋で沢を渡り、その先では木製の簡素な橋で支流を更に渡る。そうして段々と犬越路への登りが始まるのだが、落葉樹の深い森の中を行くこの道は気分がいい。朝日に向かって登っていくようなところが、私は好きだ。
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 「犬越路まで600m」という道標が立つあたりからが、この登りの核心部だ。傾斜がきつくなるのだが、1年前に来た時よりも山道の改良が進んでいた。土嚢が積まれた所や、新たに設置された木製の梯子などを通ってせっせと登ると、10:15に犬越路に着いた。檜洞丸と大室山(1587m)に挟まれた鞍部ながら日当たりの良い場所で、南側には登って来た谷を見下ろし、これから登る檜洞丸への尾根が東側に見上げるような高さで続いている。神奈川県の中ではあるが、かなり秘境ムードのある場所だ。
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10:20 犬越路 → 11:40 小笄の少し先

 檜洞丸を目指して、尾根道を登る。ここからは正面から太陽に照らされる道だ。空はよく晴れ、吹く風が少し強い。だがそれは妙に生暖かく、この季節にしては気温が高いようで、風通しのよい半袖の衣類でも十分なぐらいだ。私はもうすっかり汗まみれで、長袖を着て来たことを後悔していた。

 犬越路から20分ほど登った所で、それまで右手に木々の間から見え隠れしていた富士山が、初めてその全容を現した。今年の初冠雪が9日前の16日。そして一昨日までの2~3日も下界では雨の日が続いたから、頂上付近の雪の白さが本当に鮮やかだ。
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 高度を上げるにつれて進んでいく周囲の紅葉にも見とれる。元々が展望に優れた尾根道だから、この季節は登山道の周りの赤や黄色と彼方の山並みの両方が存分に楽しめるのだ。そして、登山者の数はそれほど多くない。去年の秋にここを歩いたH氏と私がすっかり魅せられてしまったのは、そんなところにあるのかもしれない。
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 犬越路から50分ほどで、小笄(ここうげ)へと上がる鎖場の直下に到着。気温が上がったためにその間に東方からムクムクと雲が湧き、結果的にはそこから見る富士山頂が、この日に眺めた最後の姿になった。
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 そこから幾つかの鎖場を越える。本日の紅一点のKさんは、今年の1月から私たちの週末山歩きに参加されるようになったのだが、こういう鎖場の上り下りはおそらく今日が初めての筈だ。しかし、そんな風には見えないほどKさんは軽快に登って行く。この感じなら今日一日大丈夫だろう。それよりも私の方が、何やら普段よりも体が重くて元気が出ない。やはり寝不足が祟っているのだろうか。

11:45 小笄の少し先 → 大笄 → 12:13 熊笹ノ峰 → 12:45 檜洞丸

 小笄付近は三角点が目立たない所にあるので、つい気付かずに通り過ぎてしまう。振り返ると、犬越路では間近に見上げていた大室山がだいぶ遠くなり、その右奥に奥多摩から奥秩父の主稜線が続いている。海に近い丹沢周辺よりも、今日は北の方が雲も湧かずによく晴れているようだ。
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(大室山を振り返る)

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(奥多摩・奥秩父の山々)

 岩場の連続が終わり、大笄(おおこうげ)付近からはしみじみとした味わいの眺めになってきた。先週の日曜日には、ここよりも400mほど標高の高い小金沢連嶺を歩いたが、植生の違いはあるとしても、今日の西丹沢の方が紅葉は鮮やかで印象的だ。
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 先週の小金沢連嶺ではブラームスの第3交響曲の第2楽章が思わず浮かんできたが、今日の西丹沢の紅葉の賑やかさは、さながら第2交響曲の祝祭的な第4楽章だろうか。その後半でオーケストラが高らかに鳴り響いた後に音程が急降下し、弦楽器だけが低音で第一主題を朗々と響かせる、その部分が今日の眺めには良くお似合いだ。
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 いよいよ檜洞丸のピークも行く手に見えてきた。そこから山道が一度左に回り込み、軽い上り下りを繰り返しながら左手の展望が開けてく所が、このコースでは私のお気に入りの一つだ。木々の向こうにひっそりと聳え立つ丹沢の最高峰・蛭ヶ岳(1673m)。いつ見てもいい山である。
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(正面奥が檜洞丸)

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(蛭ヶ岳)

 さあ、いよいよ檜洞丸への最後の登り。ところが、このあたりから両方の大腿部が痙攣を始めてしまい、私は他のメンバーに遅れをとってしまった。いつもより体の重い感じが入山時から続き、ここまでもあまりピッチが上がらなかったのだが・・・。仕方なく、持ってきたエアー・サロンパスでともかくも痙攣を治め、山頂に上がる。Kさんが心配して山頂の入口で待っていてくれた。いやはや、面目ないことである。
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 檜洞丸の山頂は、いつになく賑わっていた。私たちがこれから降りる「つつじ新道」を登って来た人たちが多いのだろう。この山に来たのはこれで5回目だが、富士山が雲の中に隠れていたのは今回が初めて。南側の同角山稜の方から雲が次々に沸き、上空は晴れているが周囲の山は半分ぐらいが雲の中だ。山頂の西端からの富士山や南アルプスが見えないのは残念だが、ともかくも私たちはそれぞれに持ち寄って来たものを分けながら、山頂での昼食を楽しむことにした。
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(檜洞丸の山頂にある祠)

13:25 檜洞丸 → 14:20 展望園地(5分休憩) → 15:00 ゴーラ沢出合 → 15:35 西丹沢自然教室

 昼食を終えて檜洞丸の山頂を出た時刻は、山地図のコースタイム通りに作った計画から30分のaheadだった。計画では西丹沢自然教室を16:25に出るバスに乗る予定だったが、今から下山を始めれば2時間ちょっとでバス停に着くから、一本早い15:40発のバスに乗れそうだ。それで予定より早く小田原へ出れば、居酒屋での「反省会」もゆっくりできる。先頭を行くH氏のそんな誘導に乗せられて、私たちは下りを頑張ることにした。
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 一本調子の下りをガンガン降りたつもりだったが、ほぼコースタイム通りのペースで展望園地に到着。そこから下も案外と長かったが、15:00にゴーラ沢出合に着き、浅瀬を見つけて渡渉。あとはブナの森の中の緩やかな下り道だ。この下り道が沢筋を反れて右に曲がると、檜洞丸の稜線はもう見えなくなってしまう。私はそこで後ろを振り返り、朝から楽しんできた紅葉の山並みに別れを告げた。
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 結局、一本早いバスには間に合ったのだが、もう満席で座れない。これから1時間以上も立席なのはかなわないから、45分後の本来のバスに乗ることにしよう。西丹沢自然教室の前にはテーブルとベンチもあるから、そこでゆっくりするのも悪くない。こんな時に「先立つものはまずビール」だが、先頭者として下って来たH氏が、手回し良く近くの売店でもう既に調達してきてくれている。

 乾杯! お疲れさまでした! よく頑張ったね!あたりの黄葉を眺めながら、下山後の0次会がなごやかに始まった。

 いい山だった。組成をしていただいたH氏には改めて御礼を申し上げたい。またいつか、このメンバーでどこかの山へ出かけたいものだ。

 冒頭に記したように私自身はこれから向こう1ヶ月前後、山はお預けになるのだが、その間はしっかりと養生をすることにしよう。
 

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